以前、2000年夏の事務所ニュースで岩田賢司さんにアフガニスタン難民への支援について紹介していただきましたが、1999年の冬に玉造カトリック教会においてアフガニスタン難民に対する支援活動が始まって以来、約2年半が経過した現在もまだ大阪地裁においてはアフガニスタンの少数民族であるハザラ人の難民不認定処分取消等請求訴訟が係属しています。
当初はまさに手探りでの支援活動でしたが、支援者の方々の熱意と行動力が実を結び、2000年12月に初めてハザラ人男性に対して難民認定が出ました。そして、2001年5月には2人目の難民認定があり、その頃から難民不認定とされた人々も次第に在留特別許可により在留が認められるようになりつつありました。
ところが、国の対応に変化のきざしが見え始めた矢先の2001年9月、同時多発テロ事件の勃発により事態が一変します。アフガニスタン人の入国はほとんどが拒否され、東京ではアフガニスタン人9名が一斉に牛久の東日本入国管理センターに収容されました。2001年の同時多発テロ事件後、わが国においても「タリバン」「イスラム原理主義」といったアフガニスタンに関するニュースが広く世間に知られるところとなりましたが、その裏側で入管はテロ防止に名を借りてテロとは無関係なアフガニスタン難民に対しても不当な締め付けを始めたわけです。
しかしながら、これに対して、東京地裁では(同時期に対照的な2つの決定が出たということでマスメディアでも大きく報道されましたが)強制送還のみならず収容に関して執行を停止するという画期的な決定が下され、また、最近では広島地裁において不法入国で起訴されたハザラ人男性に対して「被告人は難民であるから刑を免除する」という判決が下されました。
ハザラ人は日本人と同じモンゴル系民族で、実際に話をしてみると礼節を重んじる優しい心をもった人たちです。難民として助けを求めてくる人々は、多くの場合、家族を殺されたり、連れ去られたり、自分自身も迫害、拷問を受けた経験を有しています。アフガニスタンでは、銃を持てないようにと少年たちの手首を切り落としたり、拷問で顔の皮膚を剥がすというようなことが実際におこなわれていると報告されています。彼らはたまたま幸運であったことから家族の期待を背負って日本に逃げてくることができたのですが、残念ながらこういった事情があったとしてもわが国の難民認定手続ではめったに難民とは認められません。
近時、瀋陽の在外公館への亡命事件をきっかけとして、わが国の難民認定法を見直す動きがでています。現在の難民認定手続には、原則として上陸後60日以内に難民申請しなければならないという60日ルールや、入国審査官が難民調査官を兼ねているなどといった構造上・手続上の問題点、退去強制令書に基づく収容は無期限で、収容の必要性さえも審査されないことなど、明らかに不合理な点が数多くあります。
難民は本国における迫害から逃れてきたものの、庇護を求めた国においては極めて弱い立場に置かれ、言葉の壁、宗教の壁、文化・生活習慣の壁といったいくつもの壁にぶつかりながら,強制送還されるかも知れないという不安の中で心細い生活を送っています。さらに、わが国には諸外国に比べ偏見という目に見えない大きな壁が存在します。
わが国においては、この機会に難民認定法を少なくとも難民条約に適合するように改正することはもちろん、今後、国際社会において通用するような難民認定手続を確立していく必要があります。そのためには、まずわれわれ1人1人がいったん先入観を捨てて、難民の置かれている立場に心を寄せ、難民の現状を理解することから始めなければならないのかも知れません。
アフガニスタン難民支援の現状
弁護士 向来 俊彦